2017/2/19(日)

  聖徳太子葬送の道


今日の沼田氏のリードによる【聖徳太子葬送の道】とは・・・
斑鳩宮で死去された太子の遺体を叡福寺(大阪府太子町)の御廟まで運んだ王寺町を通る道を「太子葬送の道」という。

 法隆寺では聖徳太子の命日である2月22日を「太子の日」として、太子を偲び、毎年「太子道をたずねる集い」を
11月22日(法隆寺から橘寺)と2月22日(法隆寺から叡福寺)に催しているという。
コース:JR法隆寺駅~藤ノ木古墳~王寺図書館~達磨寺~武烈天皇陵~旭ケ丘近隣公園~叡福寺~上ノ太子駅
 リーダー:沼田  距離:23Km    レベル:B   参加者: 73
電車賃
300円
 生駒駅
王寺線
 王寺駅
9:05 9:31

いやあ~~、失敗しました~~
朝、7時半頃起きて朝食を~~とパソコンを開き今日の行事予定を見たら、今日は「浪速・・・」の例会だった。
うっかりしていた! F原氏にメールしたら王寺町立図書館でトイレ休憩だという。

ならば間に合うかな? と急いで出かけた。


9:05
9:40

生駒駅からの電車に乗る。
王寺町立図書館でみんなのやってくるのを待つ。

王寺駅渡り通路の 聖徳太子の雪丸

【雪丸】: 今日の反省会の場でM井さんに教えて貰った話では。
 達磨寺の境内には、太子の愛犬「雪丸」の石像があり、雪のように白い犬で、とても賢い犬だったという。
聖徳太子の愛馬といえば、黒駒が有名ですが、愛犬もいたのですね。


10:25

法隆寺駅から王寺町の図書館まではおよそ4km。
本隊は9:00 にスタートしているはずだから9:50頃来るかな? と図書館で待っていると10:20頃彼らは到着した。
 


10:45

図書館で皆さんと合流して歩く。
すぐに「達磨寺」

【達磨寺】:達磨寺のホームページによると
『日本書紀』によると、推古天皇21年(613)12月、聖徳太子が道のほとりに伏せっていた飢人を見つけ、
飲み物と食べ物、それに衣服を与えて助けましたが、飢人は亡くなりました。
このことを大いに悲しんだ聖徳太子は、飢人の墓をつくり、厚く葬りましたが、数日後に墓を確認してみると、
埋葬したはずの飢人の遺体が消えてなくなっていました。
この飢人が、のちに達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨寺は生まれました。



11:20

尼寺(にんじ)廃寺跡(アマデラではなくニンジと読む)。 ここから香芝市だ。
基壇下には巨大な「心礎」が埋められて塔を支えていたそうですが、その大きさは約3.8m四方・厚さ1.8mもある、8畳間ほどもあるそうな。


11:45

尼寺廃寺跡から住宅の路地を行くと武烈天皇陵に着く。

ご参考⇒武烈天皇陵http://mannpomann.kt.fc2.com/21yuuryaku-25.htm#no.25


11:51

武烈天皇陵からすぐ志都美神社(しずみじんじゃ)

 太子道の説明

志都美神社


12:10

志都美神社から左手に二上山を眺めながら歩くと、昼食場所の旭丘近隣公園

昼食後およそ20名がここでゴールとした。


12:28

昼食後緩やかな坂道を上っていくと屯鶴峯(どんづるぼう)
ここでは以前どこかのウオーカーが滑り落ちて大けがをしたとか聞いた。
   
屯鶴峯から山を下ると大阪府の太子町に入る。
気持ちのいい真っ青な空!

右手にはブドウ畑

西名阪自動車道を上に見る
 
太子町の町中に入る。 
「松井」姓のお家が多い。 古い集落にはこのように同じ「姓」がよく見られる。


14:23

 太子町の住宅街を進むと叡福寺に着く。

推古天皇が聖徳太子の墓を守護するために建立されたという

聖徳太子御廟
   
 

14:55
 
叡福寺から聖和台という住宅地の坂道を上りそして下るとゴール、近鉄上ノ太子駅
ここで青天の反省会10名ほどで。
辻氏が朝の集合に遅れたと今頃になって合流してきた。

ゴール

上ノ太子駅から道明寺~柏原~王寺~生駒へ帰るルートを取る。
 
その途中王寺駅でN田・K藤氏の3人で第2反省会。
3人で談笑していたら大阪のおばちゃんが「ご一緒していい?」と割り込んできた。
つい、盛り上がりました。
 
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18:00 自宅着。
本日のドアtoドアの歩数:約 30,347 歩。