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参加者:353名(内会員102名) |
1月20日、今日は「大寒です」とテレビで言っている。が、3月・4月を思わせるポカポカと暖かい1日、大阪史跡探訪ということで茨木市を歩いた。 なんと、集まった人数は353名! お世話いただいた長谷川氏ほか世話役の方には本当にご苦労様でした。 |
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10:00 | 茨木駅に着くと集合場所は矢印の方とのことで駅近くの公園まで歩く。 一般の方の受付場所は公園の入り口近くにあり多くの方が受け付け表に名前を書いている。 会員の受付場所がどこか分からない、聞けば奥のほうで古谷氏が受付をしてくれた。 |
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10:15 | 山田氏の準備体操の後、スタート。 | |
10:25 | 茨木神社。 この神社の東門は茨木城の「搦手門」を移築したものらしいが、城郭のあとは残っていない。 茨木城は楠正成が築き、その後の城主には中川清秀・片桐且元がいるとか。 |
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10:40 |
茨木神社を過ぎてちょっと歩くと「片桐町」を歩く。片桐城主の名残か。 川端康成文学館を素通りする。 川端康成は「伊豆の踊子」「雪国」「山の音」「古都」などの作品で親しまれている作家で、昭和43年(1968年)日本で初めてノーベル文学賞を受賞した。 氏は幼児期から旧制中学校卒業期まで茨木で暮らし、この時期に文学への志を深めた。 茨木市は「川端康成のゆかりのふるさと」として、多くの市民が川端康成やその文学に親しむ拠点となるよう、昭和60年(1985年)5月「川端康成文学館」を開館した。 |
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10:55 11:15 |
川端康成文学館を過ぎてしばらく行くと安威川に出る。 千歳橋を渡り北へ進むと西国22番札所総持寺。 ここで15分ほどの列詰めトイレ休憩。 村田氏に借りていた本「腐食生保」上下2冊をご夫人にお返しする。奥様重いのにすみませんでした。 なかなか面白い本であっという間に読んでしまいました。 |
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11:40 | 磯良神社。 |
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11:50 | 西河原公園。40分ほどの昼食休憩。 安威川沿いを北へ登ると太田橋に至る。ここから西国街道です、との案内を受ける。 午後になると歩いている体が汗ばんでくるほどの陽気を感じる。これが大寒の気温か? |
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12:55 |
白井河原合戦跡。 道中、各所で信号がたくさんある。市街地ウオークだから仕方ないが、世話役の方々大変気を使う。ご苦労さんなことと思う。 |
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13:50 | 川端康成旧宅跡。 今は川端康成のご子孫が住んでいるのだろう。350人を越える大勢に家の庭に入ってこられて迷惑しているのでは・・・? 川端家からはまたJR茨木駅に向かって戻る。 |
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14:20 | 郡山宿本陣(椿の本陣)。 門の左手には椿の木が植えられており、この木があることで「椿の本陣」と言ったらしい。 この「郡山宿本陣」ができたのは寛永12年(1635年)であり、明治はじめの廃藩まで約240年余続いていたとされている。 |
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椿の本陣から名神高速道路の下まではゴルフ場を横手に見ながら林の中を15分ほど歩く。今日の唯一、気持ちのよいコース。 | ||
15:00 | JR茨木駅そばの公園で解散。 それぞれ駅に向かって帰る。 我々は反省会を茨木駅近辺組と大阪組とに分かれる。 オイラは大阪組の方に入り込み、大阪駅から中津までおよそ20分の水沢氏経営の「北乃」に向かう。 集まったメンバーは白水・舘・長谷川夫妻・田中・若林・斉藤・和田・竹中・小林・ゆりちゃん・軒山・広田・和田・西田・本田夫妻とオイラの18名。 料理の出てくること出てくること。食べきれない。 中ジョッキ一杯と焼酎2本を皆で空けていい気持ちに。今日は美女連が大勢いたのでおいしい酒がいただけて大感謝。 帰りのJR利用者は誰も居ず、ひとりで大阪駅に帰ったが道が分からずなかなかたどり着けなかった。 |
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20:00 | 帰着。 | |
本日の総歩行数:40,000歩、総歩行距離:約 28Km。 |