2006/1/21
 第36回 京・松原通 10Km
コース:京阪五条駅→清水坂→六道珍皇寺→松原橋→因幡薬師→五条天神→光徳公園→梅小路公園→
西本願寺→義経居館跡→五条大橋→京阪五条駅

2006.1.21(土)歩け歩け連合へ本年初めてのウォーク。
10:00 10時前京阪五条駅そばの木屋町の公園に集合。
後で聞いたところでは総員で158名と。

受付のところにたまたま会長が居たので、「今年のウォーキングダイアリーはいつもらえるのですか?」と尋ねたら、「年末に増田さんが郵送しているはずだ」との答え。
「年末には新聞と年間行事予定表はありましたが、手帳はないのでいつもらえるのかなと思っていました」と言うと、
「送っているはずだけど総会の日に渡します」と言ってくれた。
準備体操をしてスタート。
10:40 東音羽町から大谷本廟を通過すると清水寺に着く。
天気予報では今日はとても寒く、雪も舞うだろうと聞いていたように思ったが、なかなか暖かい。歩いていると汗ばんでくる。
アンダーウェアー1枚脱ぐ。

大谷本廟入り口

大谷本廟

清水寺
清水寺:音羽山清水寺は、1200余年前、すなわち奈良時代の末、宝亀9年(778)の開創。
奈良子島寺の延鎮上人が「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」との霊夢をうけ、千手観音像を彫作して居士の旧庵にまつったのが、当寺のおこり。
音羽の滝は、清水滾々と数千万年来、音羽の山中より湧出する清泉で、金色水とも延命水ともよばれ、わが国十大名水の筆頭にあげられる。ここより「清水寺」の名がおこった。
11:00 清水寺門前の商店街(?)を素通りして六道珍皇寺。

六道の辻

小野篁が冥土に通ったという井戸
六道珍皇寺:平安時代の葬送の地、鳥辺野(とりべの)の入り口にあったお寺。あの世とこの世を結ぶ地点と伝えられ、盂蘭盆会(うらぼんえ)が近づく8月7日から10日までの4日間は、多くの露店も参道に軒を並べ、お精霊(しょらい)迎えの人々がひきもきらず参詣する。門前の飴屋の幽霊飴(ゆうれいあめ)。赤子を抱いた母親幽霊が、お乳の代わりに赤子へ与える飴を買いに夜な夜な墓から出てきたという由来がある。

『六道』とは、一切の衆生が、生前における善惡の業因によって必ずおもむかなければならない地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の冥界をいう。その『六道さん』と呼ばれる六道珍皇寺は、山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。
 本尊は、薬師如来(伝教大師 最澄作と伝えられ、重要文化財)で、閻魔堂には、弘法大師(空海)小野篁 閻魔大王(小野篁作と伝えられる)の三像が安置されている。また境内には、室町時代の石地蔵が数多くある。
11:30 松原橋を渡り、因幡薬師・平等寺着。
途中井村氏と大阪関西歩け歩け協会のウォークに年初に参加したことを話す。
因幡薬師:西暦1003年 長保5年4月8日 橘行平卿により開基。
寺伝によれば 御本尊は、長徳3年(997年) 橘行平卿が勅命を受け因幡の国一の宮へ代参された時、夢のお告げによって海中より引き上げられた薬師如来で有るといわる。 承安元年1171年、高倉天皇より「平等寺」の勅額を賜り平等寺となる。
一遍聖人も都布教の起点とされ、京の町衆へその教えを説かれ、猿楽興行も行われ、また浄瑠璃発祥の地ともいわれている。
12:00

12:50
五条天神を経由して光徳公園で昼食。

24日に観音峰をご案内いただく羽田野氏と話す。当日のメンバーは9名(羽田野・中道・村田・井村・西村・古谷・鈴木・志賀・清水)とのこと。
13:00 角屋を通る。

角屋
【角屋】は島原に残った最古の揚屋で、「揚屋」とは太夫、芸妓等を一切かかえないで、置屋から呼んで宴会を催す場所、今で言う料亭にあたる。
民間の建物としては規模が大きく、700坪の敷地に500坪の建物が建つ。島原の立地条件が悪く、他の揚屋は祇園に移っていったが、角屋は広すぎて移れず、今に至っているという。
ここは新選組の宴会が良く行われた場所であり、柱には隊士が酔って傷つけたといわれる刀傷も残っている。 

13:30 梅小路公園では木下大サーカスが公演していた。
子供の頃見て以来で懐かしく感じた。

西本願寺に着く。
14:10 朝のスタート場所木屋町の公園で解散。
14:30

15:20
京阪四条の総本家にしんそばの「松葉」で反省会。
メンバーは羽田野・八田・中道・竹中・松尾・北口・杉岡・三木・杉山・古谷・清水の11名。

久しぶりにアルコールを口にしたら、ほんの少しで顔のほてりを感じた。

京阪四条駅では北口氏が「会所を探したがなかった」と。
17:00 自宅帰着。
本日の総歩行数:24,126歩。