2005/8/28
 第26回目 北国街道 17Km
コース:大津駅→札の辻→花登筺生誕地→琵琶湖疎水→琵琶湖競艇場→駒止めの松→唐崎の松→坂本城跡→酒井神社→雄琴公園(昼食)→
衣川廃寺跡→浮御堂→堅田駅
2005.8.28(日) 今日は古谷リーダーのご案内での北国海道。9時にJR大津駅に集合すると、リーダーからコース説明。
「B例会にしては17Kmしかありません」とのことなるも結果論としてはまだまだ暑い中、結構疲れた。
メンバー数は下村氏のカウンターで55名とのこと。

大津駅前にて
9:25 大津駅をスタートするとすぐに花登筺生誕地・旧北国町の札の辻に入る。ここからがいわゆる「北国海道」。

 
9:30 琵琶湖疎水。ここから京都へ流れていく。

明治より前、逢坂山や日の岡の峠道は、旅人や貨物輸送にとって悩みの種で、琵琶湖から水を引き、
その水路を利用して舟運を興すことが古くからの夢であった。
明治2年の東京遷都以降、衰微する京都を復興するため、舟運に、潅漑に、
また、水力を利用した発電等多くの目的をもって「疎水」が開削された。

10:00 このあたりから、のどが渇く、ペットのお茶をガブガブ飲む、湖畔公園・駒止めの松。

「葉隠」に武士道とは死ぬことと覚えたり。戦国武将で最も華麗な最期を遂げたのは明智左馬之助(光秀の娘婿)である。
追われる羽柴の大軍を尻目に、琵琶の湖水を名馬大鹿毛で坂本の城をめざし、打出ケ浜から唐崎までの二里余りを乗り切る雄姿は、講談を読み乍ら今も目に浮かぶ夕陽に輝く緋縅金小実の大鎧、梅花七輪透かしの小手脛当て、二の谷の名兜はその馬術と相まって目も欺くばかり、さしもの羽柴勢もやんやの拍手を送る程であった。
近江八景の読み込みで左馬之助の心の内を七五調で纏めた名修羅場は、古典軍談中の白眉である。


駒止めの松

秋の到来を思わせる大きなカヤ
                               
10:50 「唐崎の夕景」、唐崎の松。
ここで村田氏に近江八景の話をされる。

堅田の落雁・比良の暮雪・三井の晩鐘・唐崎の夜雨・瀬田の夕照・粟津の晴嵐・矢橋の帰帆・石山の秋月



12:15 雄琴の歓楽街を横目に見ながら歩いていると、諸先輩方が「昔はよく利用した・・・」と言うようなお話をされている。
今ではずいぶん寂れている感じ。
雄琴公園。昼食。
「ここで昼食」と言われるも日陰がまったく無い。公園のはずれまで足を延ばすとようやく藤棚の木陰があり、数人が休みながら飯にありつけた。
ここで、本日のコースの約2/3であと1/3くらいとのこと。

13:05 海道からちょっとそれて坂道を登ると雄琴神社。
暑い。お茶をガブガブ飲む。
13:40 同じく海道から少し坂を上ると衣川廃寺跡。

14:15 近江八景の一「堅田の落雁」・浮御堂。

京都に近い堅田の地は、古より湖上交通の要地として栄えた。
そのため、平安時代に比叡山の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が湖上安全を祈願し、
自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで建立したのが浮御堂の始まりといわれ、正式名は海門山満月寺と言う。



14:45 終点、JR堅田駅着。

17:10 自宅着。
秋風を感じながらのウォークだったが、まだまだ暑かった。
各所に名所を織り込んだ企画、ありがとうございました。
本日の総歩行数:33,153歩、歩行距離:23Km、コース正味歩行距離:17Km、総労働時間:10時間。