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  雨乞山 1238M
2003.9.23(火)御在所山系雨乞山へ会長・渕崎氏と3名で行った。
7:00 近鉄八戸ノ里駅に集合。
駅前のコンビニ「サンクス」で昼弁当を買う。後で昼にこの弁当を食べたらメシがパラパラで食べられたものでなかった。
もう、「サンクス」の弁当は買わないぞ。
9:25頃 近畿自動車道から西名阪〜東名阪で四日市で出て、御在所岳裏登山口・中登山口を見て、
9:35頃 駐車場に着く。
登山スタート。登山なのにドンドン下っていく。
10:00 武平峠(875M)着。
11:00頃 武平からグルグル、グルグル道を巻いてこれで道は間違いないのか?と不安になる。
もう少し行くと、案内板があって安心する。
11:50 沢に沿ってズーッと歩いていると水音で気持ちがいい。秋を感じる風も気持ちがいい。
この山にはお花があまりないが、この付近に小さな花畑があった。
12:40 深い深いブッシュをこぎ抜けるとようやく東雨乞山(1226M)。万歩計は8300P。
東雨乞山頂で二組・数人のパーティーがいた。
ここで昼飯を食べたが、前述のパラパラメシ。参ったね。
13:12 東雨乞からまたブッシュをくぐって、
雨乞山頂(1238M)着。
13:28 東雨乞山。
15:45 駐車場着
18:50頃 ナンバ着、解散。

9:37スタート

11:05案内板に一安心

11:46お花畑

12:33深いブッシュを抜けると

12:36東雨乞山頂

13:08雨乞山頂にて

13:08三等三角点

13:11山頂よりの展望

15:31武平トンネルをくぐって

15:34トンネル内の県境

    追悼登山・鉄山 1563M
2003.10.4〜5(日) 2003年5月白子谷を鉄山に向けて遡行、鉄山(1563m)で遭難死した市田君の追悼登山を行った。
メンバーは会長・渕崎・御影・釈迦堂・石田・漫歩マンの6名
10月4日
20:00
小阪駅集合、会長車デミオとM影車モビリオに分乗し、同駅スタート。
22:15頃 洞川温泉着、(途中西名阪柏原で降り大淀〜下市のコンビニでビール等を購入)
駐車場トイレのそばでテント設営。それぞれ夕食は済ませているので簡単に一杯・・・と思いきや、誰がビール8本も飲むのかな?と思っていたビールがアッという間になくなり、会長持参のお酒2本もアッ。
10月5日
01:00頃
就寝。
釈迦堂氏・石氏はまだなにかしゃべっている。「もう酒はないか」とのことに「神の河」を差し出したら、これで朝の4時頃までだべっていたらしい。
06:00 起床。インスタントうどん、パン、おこわめし、等会長の沸かしてくれたお湯で朝ごはん。
釈迦堂氏は食欲がない、と。
07:40頃 洞川をスタート。スタート前に釈迦堂氏、車のドアの角で頭をぶつけて大怪我。どうも彼は二日酔いらしい。
08:25頃 神童子谷・大川口に駐車、登山開始。怪我をした釈迦堂氏は留守番をするとのこと。
登り初めから、強烈な急登・直登、30分ごとに休憩。こりゃシンドイ。
留守番の釈迦堂氏と会長は無線で山の様子を連絡しあっている。
「会長は快調やな」と渕崎氏。頂上までずーっと急登だった。
10:20頃 頂上を目前の少し平たいところに「田村某平成11年2月17日」と書かれた慰霊碑が建っていた。冬山で死んだ人もいるのだ。
ここに木材を下ろすためと思われる鉄のロープが沢山捨て置かれている。
「鉄線が沢山あるからこの山の名を鉄山(テッセン)というのだ」とダジャレ。
10:35頃 頂上着。立ち木に「鉄山」と書いたかまぼこ板がくくりつけてあった。
その木の根元にお花を飾り、線香をつけ、お酒をそえて黙祷・・・。
市田氏が白子谷から登って、何度も迷ったと思われる場所まで見に行こうと30分ほど反対側を降りてみる。
このあたりで迷ったのかなと想像するが、今日は好天で彼が遭難したときとは条件が違いすぎて「迷う」ということがどうも信じられない。
「白子谷を5月の冷たい水の中を歩き、不慣れな沢で急登で苦しみ、疲労困憊のところに夕闇・ガスで道が見えない、不安は募る・・・」こんな状況を想像して無理やり自分を納得させた。
12:10頃 下山開始。
下山途中、鉄線・慰霊碑のあるところで一人の中年で中肉中背の山男が来た。
13:45頃 下山完了。
14:15頃 大川口を帰途スタート。
途中、新庄あたりのファミレスで昼食、経費の精算。
18:00頃 御影車、瓢箪山駅に到着。
皆さん、すばらしいお山へご案内いただきありがとう。

23:05 テントの中御影氏

8:14 スタート渕崎氏

8:19 スタート

8:25 急登序の口

10:05「田村某」の慰霊碑

10:35 山頂

10:35 山頂のおいら

10:41花を飾り線香で・・・

10:44 頂上にて

10:05そろそろ紅葉が・・・