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コース:JR宝塚駅~小浜宿~清酒発祥地碑~昆陽池公園~緑ヶ丘公園~JR1伊丹駅
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台風なみの大嵐が中国から九州地方を襲っている。 今日はその中日で穏やかな天気で治まりそうだ。 と、JR宝塚駅に着くと集まっていたメンバーは56名だとのこと。 |
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10:00 | コース説明を終えて、スタート。
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スタートしてすぐに手塚治虫の記念館。 鉄腕アトムとかジャングル大帝でお馴染みだ。
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10:37 | 手塚治虫記念館を過ぎると小浜宿だ。 小浜宿(こはまじゅく)は、有馬街道の宿場の一つ。 江戸時代の摂津国川辺郡小浜町、現在の兵庫県宝塚市小浜にあった。 京伏見街道、西宮街道も通り、交通の要衝であった。
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11:13 | 資料館を出て川沿いを歩く。梅雨時にしては心地よい風が吹いている。 空を見上げれば次々と飛行機が・・・
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11:36 | 鴻池公園からすぐのところに清酒発祥の地の碑があった。
その発祥のいわくは 「天正7(1579)年、豪商・鴻池(こうのいけ)家の始祖で、戦国武将・山中鹿之助の長男、幸元(ゆきもと)が 豊臣秀吉の大軍の攻撃を逃れて伊丹・鴻池の地に落ちのび、酒造りを開始。 慶長5(1600)年ごろ、酒だるの中にかまどの灰を入れたざるを誤って落とした際、 にごり酒が澄み切って味が良くなったことから清酒が誕生した。」 と言うことらしいが、 一方、奈良の清酒製造はそれより100年以上古いという。 奈良県酒造組合によると、室町時代の嘉吉年間(1441~44年ごろ)には、奈良市菩提山町の「正暦(しょうりゃく)寺」で僧坊酒として清酒を製造。 酒母に三段仕込みで麹米、掛米、水を加えてできたもろみを酒袋に入れて圧搾し、酒かすと酒に分ける技術を僧らが確立したとされる。
特段、どちらの言い分に賛同したり応援したりする気持ちはないが、 面白いね! どちらもがんばれ!! |
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11:58 | しばらく行くと昆陽池公園に着いた。で、「さあ、昼飯だ」と思ったが その先まだまだ歩かされること!
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12:50 | 昆陽池公園でのヒルメシのあと、午後の部スタート。
ラクウショウはそもそも沼地に生育するので呼吸するためにこの気根を地面に出す。 そっくりの木にメタセコイヤがある。(参考⇒http://www33.atpages.jp/mannpomann/130119.htm)
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13:55 | 伊丹緑道の外れに猪名野神社。
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14:00 | 伊丹駅、ゴールでカイサン。 駅そば有岡城跡で反省会。
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15:30 ~ |
第2次反省会は大阪駅、エキナカで・・・ ここでは支払いを一人づつでは受け付けない! なんたる商売根性! いっぺんに嫌いになった。 |
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16:40 ~ |
第3次反省会はT岡氏が鶴橋においしい焼肉屋があるからとご案内。
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梅雨時なのにいい風を受けながらの平地ウオークでワタクシにとっては 元気に歩けた一日でした。 小林リーダー、ありがとう。 |
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本日の歩数: 約 28,402 歩。 |