2014.6.15(日)
古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)の墓へW  22Km  【レベル A】
【参加者 43名】
コース:近鉄奈良駅~新薬師寺~首切り地蔵~太安万侶の墓~光仁天皇陵~春日宮天皇陵~正暦寺~円照寺~JR帯解駅
集合場所まで 
300円
 生駒駅
快速 
 近鉄奈良駅
8:37   8:52
 イヤー~~疲れました。 柳生街道滝坂道に入ってから峠の茶屋までの厳しい急坂! その後どこまで続くロングロングロード。
救われたのは時折涼しいそよ風&ゴールに着いての一杯のビール。
9:00

 桜井リーダーのコース説明のあと、

もちいどの商店街から奈良町へ進む。
 
9:09 もちいどの商店街
 
9:20 奈良町 旧元興寺本堂跡
9:39 奈良町から高畑町の奈良市写真美術館を左に見て進むと新薬師寺。

入江泰吉記念奈良市写真美術館は奈良県奈良市にある西日本初の写真専門の美術館。
奈良大和路の風景・文化財を撮りつづけた写真家・入江泰吉の作品を中心に、展示と保存・研究活動を行っている。


 9:38 奈良市写真美術館
 
9:39 新薬師寺
新薬師寺は天平19年(747年)、光明皇后が夫聖武天皇の病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像を造った。

ちょっとお辞儀でもするのかな と思ったが、信仰心のない男供、素通りしてどんどん進む。
 10:00
柳生街道に入ったところでトイレ休憩、そして石畳道に入る。

谷川沿いに登ってきたこの道は滝坂道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行により敷かれた石畳の道は、昭和の初めまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰っていくのに使われた。
 
10:06 滝坂道
 
10:12 寝仏
 
10:14 夕日観音
10:23

 朝日観音。

ここらあたりでもう限界!苦しい!
 
10:23 朝日観音
 10:34

 首切り地蔵。 

このお地蔵さん、荒木又衛門が試し切りをしたという。
 
10:34 首切り地蔵
   首切り地蔵の少し先に春日山石窟仏。

10:43 急坂を登ると 

10:46 覆い屋の中に

10:46 春日山石窟仏
石窟仏は正面と右・左 3面に彫られている。
「この石仏は東大寺大仏殿を建てるために石材を掘り取った跡に彫られたものです・・・」
11:00 峠の茶屋着。 石切峠の近くにある茶屋だ。
 家のカモイには、古めかしい鉄砲や槍が掛けられ、武芸者が飲み代のカタにしたという。

11:00 峠の茶屋 
 
11:01 鴨居の鉄砲・槍
11:10

 峠の先、誓多林町の数件の民家を通り過ぎる。

民家の軒下には半世紀前を偲ばせる消火ポンプ。
 
11:10 民家の消火ポンプ
 11:47



12:15
誓多林町から須山町に入り茶畑の上に太安万侶の墓。
その墓までの坂の強烈なこと!!参ったね。   ここで昼食。

太 安万侶(生年不詳 - 養老7年7月6日(723年8月11日))は、奈良時代の文官。

当時はまだ文字が発達していない時代、記録は記憶に頼っていた。
そこに強烈に記憶力の鋭い人物がいた。 稗田阿礼という。 彼は歴史を全て覚えこんでおりそれを暗証できた。

時の天皇はその稗田阿礼のことを知り、太安万侶に彼の暗誦する事柄を聞き取り記録に残すよう元明天皇は厳命する。 古事記である。

11:47 茶畑の上に 
 
12:12 太安万侶の墓
12:37

光仁天皇(第49代)陵着。

息子の山部王は、「鳴くよ(7 9 4)鶯平安京」でお馴染みの平安京遷都を行った桓武天皇(第50代)である。 

12:36 光仁天皇陵
 
12:38
13:05 午後の道は殆ど平坦道。
楽といえば楽だが今までの疲れが溜まっているので足は棒。 
田原ふる里ステーションで休憩。

12:54 民家のサボテンの花 
 
13:05 ふる里ステーション
ふる里ステーションから県道80号線を進む。
 
13:14 県道を進む
田原御陵前バス停から脇道に入ると春日宮天皇陵。
その入り口には万葉歌碑。 脇道の中ほどにはササユリ。 そして春日宮天皇陵。

ここでクイズ:春日宮天皇は歴代何代でしょう?

 13:24 万葉歌碑
 
13:25 ササユリ
 
13:27 春日宮天皇陵
春日宮天皇は、万葉歌人として知られている志貴皇子(しきのみこ)です。
志貴皇子は、天智天皇(第38代)の七番目の皇子で、光仁天皇のお父さんです。
上の歌碑は志貴皇子の歌で 「いわばしる 垂水の上の あ蕨の 萌えいずる春に なりにけるかも」 と。

クイズの答え:春日宮天皇は正規の天皇ではありませんので歴代の数字はありません。没後「天皇」の称号を与えられた追尊という。(弘仁天皇の父ゆえ)
14:13
 正暦寺に着いた。

すぐそこが本堂だが、何度か行ってる との言い訳のもと正暦寺は省略。

くたくた!道路に座り込んだ。


正暦寺は、奈良市菩提山町にある寺院。
菩提山龍華寿院と号し、奈良と天理の間の山あいに位置する。菩提山真言宗の本山。
本尊は薬師如来である。
「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。
 
14:13 寺への参道
14:22



 正暦寺から急坂の山道に入る。

短いけれどクタクタの足は前に進まない。

T氏としゃべる。 彼は74才、健脚だ。 大峰山に30回登ったと自慢していた。
お手本にしたいけれどマロはもうダメだろう。

14:22 山道に入る 
 
正暦寺からの山道を下りると円照寺へ進む。 が、やはり立ち寄らない。
円照寺は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山。斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。
華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿。


会長と話していて「大和三門跡」を思い出そうとしてもなかなか出てこない。
円照寺と法華寺は出てきたが中宮寺は会長が思い出してくれた。 やはり彼のほうが“若い”。

14:58 あしひきの・・・ 

15:01 子供がザリガニ釣りをしていた

15:15 左山村御殿 と
上の歌は元明天皇の作(といわれる)で 「あしひきの山に行きけむ山人の心も知らずや山人ぞこれ」 と。

歩いているとK藤氏がマロの疲れをほぐしてやろうの気持ちからか
「先日テレビで円広志が“頑に”のことを“がんくなに”と言っていた」と笑い話。 有名人のドバカ振りは面白いね。
15:20 ゴール手前に帯解寺。 お参りするかと思えどここも立ち寄らない。 信仰心が足りないね。(もっとも赤ちゃんの事を願う年令は誰もいないか)

16:05
帯解駅で11名の反省会。(S井・S賀夫妻・K保・K藤・F原・T・D戸・S室・M・マロ)
16:40

17:40
JRで奈良に出て、「王将」で5名の反省会。(K藤・M・S賀・F原・マロ)

19:00
 更にH藤氏と西大寺駅「豊祝」で二人反省会。
疲れが激しかったため、酔いの回りは速かったね。
 
天智天皇⇒ http://mannpomann.kt.fc2.com/36koutoku-40.htm#no.38
聖武天皇⇒  http://mannpomann.kt.fc2.com/41jitou-45.htm#45  
光仁天皇⇒  http://mannpomann.kt.fc2.com/46kouken-50.htm#49
20:15
帰着。 
本日のドアtoドアの歩数:約 45,874 歩。