2009.9.20
    飛鳥の彼岸花・案山子ウオーク  
   浪速本例会:20km// 参加者:30名
集合場所まで
630円
生駒駅
準急
西大寺駅
急行
橿原神宮前駅 壺阪山駅
7:43 7:55〜7:57 8:25〜8:30 8:37
コース:壷坂山駅〜高取城址〜稲渕〜近鉄・飛鳥駅=23Km

一昨年9月に同じコースを「浪速・・・」で歩いている。

自宅を出るとき庭を見ると彼岸花が咲きそうだ。本場飛鳥は満開かな、と楽しみに出発。

我が家の彼岸花

我が家の彼岸花

8:40

橿原神宮前駅 9:30発の電車に乗る予定だったが、駅コンビニで弁当を買っている間に電車に乗り遅れた。

次の電車を待っていると、加藤氏がやってきた。
「今日は10時集合とばかり思い込んでいた。家内にまだ行かなくていいの?」と言われて「しまった、気がついた」と。
「今日はコースリーダーだし、会長からコース地図も預かっているので次の特急で行くわ」と、彼は47分発の特急で500円奮発して先行した。

マロには「58分発で来なさい、9:05頃には着くから。待っててあげるよ」と。

9:10

壺阪山駅スタート。
高取町の薬屋の多い町中を通り過ぎる。
町通り

途中、お里沢市の菩提所がある。
「壷坂の 月に杖ひく 夫婦かな」

昔むかし、壷坂にお里沢市という仲のいい夫婦が住んでいました。
沢市は目が不自由で三味線を教え、お里は針仕事で生計を立てていました。
夜な夜なお里が外出するので、情夫が出来たと思い込んだ沢市はお里を問い詰めると、
壷坂寺に沢市の目が治るようにと願掛けに行っていたと分かる。
自分の邪心を恥じた沢市は寺の裏手に身を投げる。
これを見たお里も絶望して身を投げる。・・・・・

するとそこへ観音様が現れて二人の身を救ったばかりか、沢市の目も治っていた。・・・・


という夫婦愛のお話・・・・。

お里沢市の菩提所

町中を外れると、壷坂寺への山道を登る。

9:50

壷坂寺到着。

林道を登る

壷坂寺

10:00

小休止の後、壷坂寺をスタート。
寺の裏手まで登ると遠くに二上山、葛城・金剛の山並みが遠望できる。

壷坂寺

二上山遠望

金剛・葛城

10:15

五百羅漢。

現代作の五百羅漢

室町時代の作という

11:00

11:30

高取城跡。昼食。
城跡では夏に生い茂った草を、町のボランティアが大勢で草刈をしていた。
草刈

12:15

午後、芋峠を目指し林道を歩く。
??先頭が立ち止まった。どうも道を誤ったらしい。
ここは「NTTの西増無給電中継所」とあり、行き止まりだ。
一同、バックする。

12:22

間違った場所まで引き返すと、そこにはややり「行き止まり」と書いてあるではないか。
標識の下に「行き止まり」と

12:41

古道、芋峠道入り口。
                       「古道 芋峠」               説明板
電車がひけるまでは、飛鳥地方と吉野を結ぶ重要な交通路となっていたが、
こんにちは誰一人越えるものはなく、草ぼうぼうで 道を見失いがちであり、
廃道に帰している実情である。

山道は勿論、田舎の坦道でさえ村から村へと歩く人影は、全国ともにほとんど見られなくなった。
旧道は寸断され旧峠などたいがいが廃絶の姿である。

古代から近代にまで続いた歩くことによる距離の観念は、
交通機関の発達によってみごとな変革を遂げているといってよい。
それだけに、万葉の歌の実相が歩くことによってより正しく還元されるところの多いことが、
峠の草などかきわけているときに、しみじみ感じられてくる。

み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 
雪は降りける 間なくぞ 雨はふりける
その雪の 時なきがごと
その雨の 間なきがごと
隈もおちず 思いつつぞ来し その山道を
万葉集 巻1−25
天武天皇

芋峠、犬養孝の説明板

犬養孝のように文章力はなけれど、ウオーキング・お遍路等では常々実感するところだ。

13:35

古道芋峠入り口から山道に入らずに、今日は自動車道を歩く。
いい香りがするな、と思ったらもう金木犀が咲き始めていた。

金木犀

栢森 綱掛神事

綱掛け神事は子孫繁栄・五穀豊穣・悪疫排除等を願い、毎年正月11日に行われる。
栢森は女綱。

14:05
 稲渕の綱掛。こちらは男綱。  
稲渕の男綱

14:10


稲渕のカカシコンテストを見ながら、飛鳥駅に向かう。








誰か分かる?

15:00

16:00
飛鳥駅コンビニ裏にて反省会。
反省会
日差しはまだ強いけれど木陰は秋らしい涼しい風で、気持ちのいい一日でした。
加藤リーダーご案内ありがとうございました。
本日のドアtoドアの歩数:約 35,655歩。